ヴィルヘルム1世がなくなり、孫のヴィルヘルム2世が1988年に即位しました。
その後、ビスマルクは、ヴィルヘルム2世の政策に納得がいかず、1890年に宰相を辞職しました。
ここから、ヴィルヘルム2世の親政が始まるのです。
「植民地、いっぱいくれ(1890)と、ヴィルヘルム2世」
ビスマルクの時代では、ドイツは植民地獲得をしてきませんでした。
その代わり、露土戦争後のベルリン条約では、ドイツの敵を作らない様に、植民地を他国に与えたり、アフリカ分割に関するベルリン会議(コンゴ会議)では敵国フランスの目をそらすために、「アフリカ分割は早い者勝ち」と唱えたりしたわけです。
ヴィルヘルム2世は、これに対し、「ドイツは全然植民地を持っていないじゃないか!」と思ったわけですね。
そこで、ヴィルヘルム二世は植民地を獲得するために、ベルリン・ビザンティウム・バグダートを結ぶ3B政策を実行したり、日露戦争を起こしたりしたわけですね。
この植民地を欲する動きが第一次世界大戦につながる要因になってしまうわけですね。
「植民地、いっぱいくれ(1890)と、ヴィルヘルム2世」
以上、ヴィルヘルム二世が親政を始める年号のゴロ合わせでした!