カール大帝の死後、フランク王国領は、843年に孫3人で分割されました。
「野心で3分、ヴェルダン条約」(843)
野心的に領土分割に挑んだイメージを想像して見てください。どんどん領土が欲しいわけですね。
実際に、長男のロタールは、イタリアの他、栄えていたライン川沿岸をごっそり自分の領土にしてしまいました。
これは良くないと思った弟2人は、長男のロタールの死後、870年のメルセン条約にて境界線を引き直し、今のドイツ、イタリア、フランスのもとができたわけです。
野心的な長男ロタールをイメージしながら
「野心で3分、ヴェルダン条約」(843)
では、870年メルセン条約の年号ゴロ合わせを紹介します。
「離ればなれの、メルセン条約」(870)
ロタール領がライン川沿岸から離れたってイメージしても良いし、シンプルにフランク王国が離れて分割されたことをイメージしてもいいですね。
あとはもう一つ、ヴェルダン条約とメルセン条約、どっちがどっちか混乱することがあると思いますので、そこの覚え方も紹介します。
「ヴェルダン」と「メルセン」の語感、どっちが野心的な感じがしますか?
「ヴェルダン」の方が濁点もついているし、野心的な感じがしますよね。
ということで、
- 843年:ヴェルダン条約「野心で3分、ヴェルダン条約」
- 870年:メルセン条約 「離ればなれの、メルセン条約」
以上、フランク王国を3分割した二つの条約の年号ゴロ合わせでした。