1841年、老中水野忠邦は財政難解消に向けて天保の改革を行いました。
「天保、天領、卑しい(1841)水野」
水野忠邦は、天保の改革として次のようなことを行いました。
- 人返し令
- 株仲間の解散
- 棄捐令
- 上知令
今回の覚え方では、上知令に注目します。
上知令とは、江戸・大阪周辺の大名の領地を幕府の直轄地(幕領)にする政策のことです。
幕領は天領とも言ったりしますね。
当時は外国船の来航が頻発していたため、いざという時のために幕府の命令が届くようにと、幕府の直轄で支配する領地を増やしたかったことがあったわけです。
さらに、大阪・江戸周辺は年貢の量が多い為、直轄領になると幕府の財政が潤うわけです。
しかし、当然、土地を奪われる側の大名たちは上知令に大反対するわけです。
大名の支持を失った水野忠邦は、失脚することとなるのです。
「財政を潤すために俺ら大名の土地を奪うなんて、水野はなんて卑しいやつなんだ!」という大名の気持ちになって
「天保、天領、卑しい(1841)水野」
以上、天保の改革が行われた年号の語呂合わせ、覚え方の解説でした!