1873年、ドイツのビスマルクはフランスの第三共和制に対抗するため、オーストリア・ロシアと三帝同盟を結びました。
「嫌な(187)三(3)帝、独・墺・露」(1873)
なぜ「嫌な」なのかというと、三帝同盟は崩壊するからですね。
三帝同盟を結んだ4年後、1877年には、ロシアがオスマン帝国に侵入し露土戦争を起こしました。
ロシアの目的は「バルカン半島の少数民族をオスマン帝国から独立させ、彼らと仲良くなり南下政策を成功させよう!」というものでした。
ロシアは、バックにはオーストリア・ドイツがいると思い、安心して攻めたつもりだったんですね。
しかし、オーストリアはロシアに反対します。
オーストリアは「多民族国家」です。
バルカン半島で独立運動が起こると、それがオーストリアにも飛び火してしまうかもしれないから、オーストリアはロシアの行動に反対したのです。
こうして、三帝同盟間で、ロシアとオーストリアは対立し、ロシアは三帝同盟を抜けることとなるのです。
「嫌な(187)三(3)帝、独・墺・露」(1873)
以上、三帝同盟の年号ゴロ合わせでした!