712年、太安万侶と稗田阿礼によって古事記が編纂されました。
「無いに(712)等しい、古い記事」
古事記が出来る前から「帝紀」や「旧辞」といった歴史書がありました。
天智天皇は、改めてこれらを整理していこうと歴史書の編纂に乗り出しました。
そこで、呼ばれたのが記憶の天才、稗田阿礼です。
今でもたまにいますよね。一回見ただけですぐ覚えちゃう人。羨ましいですよね。
そんな稗田阿礼にこれまでの歴史書の内容を覚えてもらい、実際にその膨大に暗記した日本の歴史を書き写したのは太安万侶になるわけです。
古事記が出来る頃にはもう、奈良時代の元明天皇の時代だったわけです。
さて、記憶の天才というものの、本当に太安万侶に伝えた内容はあっていたのでしょうか。
結構間違いもあるんじゃないでしょうか。
稗田阿礼「あれ?忘れちゃった」
太安万侶「おい」
みたいなこともあったかもしれません。
そうだとしたら、古事記の内容はあって無いようなものかもしれませんね。
「無いに等しい、古い記事」(712年)
以上、古事記が編纂された年号のゴロ合わせでした。