1858年、大老の井伊直弼は、天皇の許可なく日米修好通商条約を結び、それに反発する者を処罰していきました。(安政の大獄)
「嫌(18)だな、怖(58)いな、安政の大獄」
日米修好通商条約は、関税自主権がなく、領事裁判権を認めてしまう不平等条約であったため、吉田松陰や橋本左内などは幕府に反発したわけですね。
しかし、安政の大獄によって彼らは殺されてしまったわけです。
「逆らった者は殺す」という幕府の姿勢に人々はこう思ったことでしょう。
「嫌(18)だな、怖(58)いな、安政の大獄」
以上、日米修好通商条約・安政の大獄が起こった年号のゴロ合わせでした!