20世紀(1901~2000)

【1972年・1978年】日中共同声明・日中平和友好条約【語呂合わせ】

1972年、日中共同声明が日本と中華人民共和国間で調印され、1978年、日中平和友好条約が結ばれました。

  • 日中共同声明(1972)
  • 日中平和友好条約(1978)

今回は、この二つの年号を覚えるゴロ合わせを紹介いたします。

日中共同声明(1972)

第二次世界大戦後、中華民国では国民党政府と共産党が戦い、勝った共産党は中国本土に「中華人民共和国」を建国しました。

負けた国民党(中華民国政府)は、台湾に逃げ、「中華民国が正式な中国政府だ!」と主張しました。

日本は、どっちの中国を正式だと認め、付き合うかを考えましたが、社会主義国家である中華人民共和国とは馬が合わないと思い、台湾の中華民国(国民党)と付き合うことにしました。

第二次世界大戦後は冷戦の時代でもあるので、資本主義側の日本は、社会主義側の中華人民共和国とは国交を回復できない訳ですね。

こうして台湾と結ばれた条約が、日華平和条約(1952年)です。日中戦争の平和条約ということですね。

このころ、アメリカも台湾の中華民国のみを中国の正式な政府だと認めていました。

ところが20年後の1972年、アメリカのニクソン大統領は、突如中華人民共和国を訪れ、米中共同宣言を結びました。

この頃には、中華人民共和国とソ連が対立しているということもあり、アメリカが中華人民共和国に近づくことは、ソ連の牽制につながるわけです。

日本もこの流れに続け!ってことで、日本の田中角栄首相は、日華基本条約を破棄して、日中共同声明を結ぶことになったのです。

つまり、日本もアメリカも、1972年を境に、中国の正式な政府を「中華民国(台湾・国民党)」→「中華人民共和国(共産党)」に変えたということですね。

日中共同声明により、日本と中華人民共和国の国交が正常化し、中国は友好の印としてパンダを2匹、日本に送ったりもしました。

とは言え、「声明」の段階なので、まだ正式な平和条約ではないわけですね。

日中平和友好条約(1978)

日中共同声明(1972)の6年後である1978年には、正式に中華人民共和国と「日中戦争の平和条約」として、日中平和友好条約が結ばれました。

この時の日本の首相は福田赳夫になります。

年号の語呂合わせ

  • 日中共同声明(1972)…「急なニ(972)クソン、日中共同」(1972)
  • 日中平和友好条約(1978)…「行くな辞(1978)めろと、台湾人」

日中共同声明が結ばれたきっかけは、ニクソン大統領の訪中でしたね。

台湾は、日本の中華人民共和国との関係改善を見て、「辞めろ!」と思ったことでしょう。

以上、日中共同声明と日中平和友好条約の年号の覚え方解説でした!

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