1877年、インド帝国が成立しました。
「嫌な成(1877)り立ち、インド帝国」
では、嫌なインド帝国の成り立ちを見ていきましょう。
インド帝国の前のインドは1526年から続くムガル帝国でした。
1600年、イギリスは東インド会社を設立し、インドからの胡椒により、イギリスは莫大な富を得ました。
1664年、フランスもイギリスのインド貿易の富をいただこうと、東インド会社を設立し、イギリスが支配していたインドの都市の近くに進出していきました。
こうして、インドにおいて、英仏のにらみ合いが起こります。
1756年、七年戦争でイギリス・フランスがヨーロッパで戦う中、インドでもイギリスとフランスが戦い、イギリスが勝利しました。(カーナティック戦争・プラッシーの戦い)
その結果、イギリスはさらに力を付け、イギリス東インド会社は、インドの徴税権を獲得することになり、実質ムガル帝国はイギリス東インド会社の統治下におかれることなりました。
それにより、さらにイギリスは儲けを拡大し、インドの農民はイギリスに対し怒りを持つわけです。
1857年、インド大反乱(シパーヒーの乱)がおこります。
シパーヒーとは東インド会社が、インドの治安維持のために独自に雇っているインド人傭兵です。
シパーヒーはインド人ですから、多くがヒンドゥー教徒・イスラム教徒になります。
ヒンドゥー教は、牛を神聖なものとして考え、イスラム教徒は豚を汚らわしいものとして考えます。
ある日、「東インド会社から支給された弾薬を包む紙には牛や豚の油が使われている」という噂が流れました。
それに対し、多くがイスラム教徒・ヒンドゥー教徒で構成されたシパーヒーは東インド会社に対し、反乱を起こしたのです。
そこに、東インド会社の徴税に不満を持ったインドの農民が加わる形で大反乱に発展したのです。
こうして翌1858年、ムガル帝国は崩壊します。
これまで東インド会社にインド統治を任せていたイギリスは、統治能力がないとして東インド会社を解散させ、イギリス女王ヴィクトリア1世が自らインド皇帝となり、インド帝国がスタートしたのです。
ざっくりと、インド帝国の成立過程を見てみましたけど、結構嫌な成り立ちではなかったでしょうか。
「嫌な成(1877)り立ち、インド帝国」
以上、インド帝国が成立した年号の覚え方、語呂合わせでした!